プロフィール


はじめまして。

物わかりのいい私から自由奔放なワタシへ
心の自由を手に入れる心理セラピー

心理セラピストあいみです。

私は幼い頃から
”物分かりが良く、面倒見のいいお姉ちゃん”
として育ってきました。

自己主張も少なく、親の言いつけを
大人しく守る、絵に描いたような優等生。

そのせいか、私の自己主張はいつも両親に否定されてきました。

そんな環境にいるうちに私は、
”自分の気持ちを後回し”にすることが当たり前
になり、そしていつの間にか
”誰かの役に立つこと”で、
自分の存在意義を見出していくように
なりました。

誰かの役に立つ”
ために自分にガマンを強いる日々。


その価値観は
どんどん自分の心を見えなくしてしまい、
そのうち
”役に立たない自分には価値がない”
と、自分で自分を責めてしまう
思考グセが生まれてきました。

”どんなに頑張っても自分を認められない”
”周りの期待に応えられない私はダメ人間”
”自分を大切にするってどういうこと?”


親の期待に応えようとムリをし続け、
いつも人の気持ちを優先してきた私が
どうやってこれらの悩みを克服して、
ありのままの自分を解放できるように
なってきたのか?

下記に、私のこれまでの歩みと心理セラピストとしての想いを書き綴ってみました。

長文となりますが、
ご一読いただけると幸いです^^

”あんたは言えばすぐできるようになる”
”手もかからんし、ホントにいい子や”


物心ついた頃から、私は母に
”大人しくて手のかからないいい子”
だと言われていました。

家の中では、静かに1人遊びをする。
おもらしもほとんどしないし、夜はグズる事なく決まった時間に眠る。

保育園では0歳の弟が泣けば、弟のいるクラスに出向いて弟をあやす。

忙しい母にとって私は、手を煩わすことのない育てやすい女の子だったようです。

だけどその反面、幼い頃の私の目に映る母は
いつも忙しそうな後ろ姿。
私はその母の姿を寂しい気持ちで
見つめていたことを覚えています。

小学1年生の時。

母とママさんバレーボールから帰宅すると
父がものすごい剣幕で怒鳴ってきました。

”こんな時間までどこ行っとったんや!”

そこから目の前で父と母のケンカが始まり、
逆上した父が母の頭にお皿を投げつけました。

お皿を投げつけられた母はその勢いで床に倒れこみ、声を上げて泣いています。

”俺をバカにしやがって!!”

父の怒りは収まらず、倒れこんでいる母に罵声を浴びせ続けていました。

私はドアの前に立ち尽くし、ただただ目の前の光景に目を向けていました。

そこから母は泣きながら叔母に電話で助けを求め、叔母に連れられて病院に運びこまれました。

この出来事について私が覚えているのはここまでで、父と母のこのケンカがこのあとどう収束したのかも覚えていません。

ですが、普段から両親の顔色を見て過ごしていた私は、この頃からさらに2人の顔色を伺うようになっていったように記憶しています。

小学3年生の時。

学校での人間関係に悩んでいた私は、どうしても話を聞いてもらいたくて、母に思い切って声をかけてみました。

”お母さん、あのね…”

すると途端に母が逆上。

”うるさい!あんたまで私を苦しめるんか!!”

ものすごい形相と剣幕で、母に怒鳴られたのです。

いつも忙しく余裕がなさそうだった母。

そんな母の顔色をいつも見ていた私にとって、母に声をかけることはとても勇気のいることでした。

だけど母を頼ったら怒鳴られてしまった。

この時、私の心の中に

”私は母を苦しめる存在で、そんな私は母を頼ってはいけないんだ”

という価値観が生まれました。

さらにこの頃には、父の口調の粗さが私にも向けられるようにもなっていました。

ピアノを習いたいという想いを口にすると

”どうせお前は長続きせんやろ”

とバカにされ、その後ピアノを辞めてしまった時には

”ほら俺の言うた通りになったやろうが!
お前みたいなのは何をしてもダメなんや”


と子供の私の未熟さを責め立ててきました。

”責められるのが怖い”
”これ以上怒られんように、頑張らんと…”


私はこの頃から父と母をはじめとする
まわりの人のちょっとした言動に
敏感に反応するようになっていきました。

中学生になった私に、父と母は強い口調であれこれと要求するようになっていました。

”早く手伝いなさい!”
”口答えすんな!俺の言うことを聞け!”

2人とも、口を開けば私に命令してきます。

”弟には何も言わんのに、何で私ばっかり…”

反抗期を迎えていた私の心の中は、
いつも父と母に対する不満でいっぱいでした。

だけど、それでも言いたいことを必死にガマンしていました。

なぜならこの頃には、何をするにも

”父と母の機嫌を損なわないこと”

が私の行動基準になっていたからです。

だけどあの日は、私に命令口調で言葉をぶつけてくる母にどうしてもガマンができなかった。

”イヤって言いよるやん!何で私がいっつもお母さんの思い通りに動かないけんの!?”

私がこう言うと、

”このっ!!”

そう言って、母が手を上げてきました。

”また叩かれる!”

咄嗟にそう思った私は、
その場で母の手を払いのけました。

すると私のその行動を母が父に捻じ曲げて伝えてしまい、その後私は父に叩かれることになります。

”親に手を上げるとかお前何様や!”

何度”やってない”と訴えても、
父は止めてくれません。

私は、声を振り絞って泣き叫んで訴えました。

”叩いてない!
払いのけた手が当たっただけやん!
何でいっつも私の話を聞いてくれんの!?”

すると、我に返った父が大声で泣いている私に、バツが悪そうにこう言いました。

”…そら悪かったのぉ…
でもお前も誤解されるようなことすんな…”

口ごもる父の横で、その様子を黙って見ていた母。

その母に、私はそこから1か月以上無視され続けました。

”何でそんな酷いことができるん?”

何度もそう思ったけど、口に出せませんでした。

なぜなら、伝えてもどうせムダだからです。

高校受験の時、父にこの高校に行きたいと伝えた時も

”バカなことを言うなお前は!現実を見ろ!”

と怒鳴られ、私の気持ちは1ミリも汲んでもらえませんでした。

”私の気持ちはどうせ分かってもらえない”

こんな経験を繰り返すたびに、私の中に
こんな価値観が根付いていったように思えます。

どこにいても落ち着かないし、居場所がない。

私の心はどんどん暗く小さく、縮こまっていきました。

そして、そんな私の心をこなごなに打ち砕く大事件がこのあと勃発するのです。

高校を卒業した18歳の年。

私は弟の友達からお付き合いしてほしい、と告白をされたのですがお断りをしました。

するとその日から、弟の私への態度が急変。

私と目も合わせないようになり、話しかけても無視されるようになったのです。

そして、エスカレートしていくその態度にガマンの限界が達したある日の夜、私は弟に自分の気持ちをぶつけました。

”何で私が訳の分からんことで無視されないけんの!?”

すると次の瞬間、弟に殴られたのです。

家の外のフェンスに激突した私。
騒ぎに気付いた父が、家の中から飛び出してきました。

”何を騒ぎよるんや!!”

父は倒れている私を見るやいなや、弟を殴り飛ばしました。

そして、倒れている私に

”お前もしょーもないことでモメるな!”

そう言い放ち、そのまま家の中に戻っていきました。

味方のいないこの状況に、私の心はズタズタに引き裂かれていました。

”お母さん、早く帰ってきてくれんかな(泣)”

私は、家にいなかった母に早く帰ってきてほしかった。

それまでは何が起きても父や弟の味方をしてきた母。

”今度こそ、私の味方をしてくれるはず。
私に寄り添ってくれるはず”

そんな期待を抱いていたのですが、帰宅した母に更なる絶望に突き落とされます。

”あの子は人を殴るような子やないけん、
あんたに原因があったんやないかねぇ”

母のこの言葉に、私の心は凍り付きました。

”何でそんなひどいこと言えるん!?
わたし何も悪いことしてないのに(泣)”

声を上げて泣く私に、母は困った顔をするだけでした。

もうイヤや。
病気になっても誰も心配してくれん。
ケガをしても誰も寄り添ってくれん。

いつも責められてばっかり。
私が何をしたって言うん?

言葉にならない苦しみが、私の心を覆いつくしました。

そして私の心はガラガラと音を立てて崩れ落ち、こなごなに砕け散ったのです。


あの痛ましい事件のあと、私は20歳で結婚。
21歳の時に息子を出産し、22歳で離婚を経験。

”あんたの育て方間違えたけ、またイチから育てなおすけね”

離婚後、実家に戻って開口一番、母にこう言われました。

”くそー、ムカつく”

だけど情けないことに、当時の私にはこれしか選択肢がなかったのです。

家を借りようにも、まずお金がない。
そして小さな息子を抱えて1人で育てていくことへの不安。

自分の中のいろんな未熟さを、思い知りました。

”小学校にあがるまでにできるだけ貯金して、それから家を出よう”

そう決めて、息子のため・自分のために
私は実家にお世話になる事にしたのです。

”それが終わったら次は洗濯物たたみよ!”
”お前、子供にはこうやって教えんか”

結婚前と変わらないダメ出しと口出しの日々が、また始まりました。

それどころか、父と母の私への要求はさらにエスカレートしていきます。

”●●の資格を取れ。親にラクをさせようとか考えんのか、お前は!”
”あんたは親が困っとるのに助けようとか思わんの!?”

容赦ない言葉の暴力が、事あるごとに私に投げつけられてきます。

”言い返したら倍になって返ってくるし…”

当時、息子の面倒を見てもらっているということに負い目を感じていた私。

実家に戻ってからは、さらにガマンするようになっていました。

だけどある時、ついにそのガマンが限界に達してしまいます。

”お前は俺の言うことを聞けんのか!!”
”あんたが私の言うことを聞かんけやろ!!”

父と母が2人がかりで私を責め立ててきたこの日、私は声をあげました。

”ずーーっと頑張りよるやん!!
何でそれを責め立てられないけんの!?”


”私は出来損ないの失敗作なんやろ!?
失敗作の私はいらんのやろ!?ならもういいよ!!!”

これまでの人生で積み重なっていた想いをこの言葉にすべて詰め込んで、叫びました。

そして泣きながらその場にあった荷物をバッグに詰め込み、そのまま家を出ていきました。


”これからどうしよう…疲れたなぁ…”

この時ばかりは、自分の心と身体が悲鳴をあげているのが分かりました。

”私はこの子を幸せに育ててあげることができるんやろうか”

何も知らずに知人の家で遊んでもらっている息子を見ながら、これからのことを考えていました。

”落ち着いた環境で育ててあげたいのに…
私の人生、うまくいかんことばっかりやな”

小さな息子を連れて、外にいる状況への罪悪感。お金の不安。
そして、これから生きていくことへの不安。

ありとあらゆる不安が頭の中を支配していて、心を覆いつくしていきました。

そしてどれだけ考え巡らせても、その答えは出てきませんでした。

それから1週間が経過したある日。

知人の家にお世話になり続けることへの罪悪感に耐えきれなくなった私は、再び実家に戻ることにしました。

”とりあえず孫のことは可愛がってくれる。
息子にとってはあそこが安全やし…”

そんな理由をつけて実家に戻った私ですが、
心の中ではそんな自分が情けなくて仕方がありませんでした。

”結局、今はあそこに頼るしかないのか…”

諦めに近いこんな気持ちを抱いて、実家に帰宅。

この時ばかりは父も母も何も言わず、
私と息子を黙って受け入れてくれました。

そして当時、職場の人間関係にも疲れ切っていた私は、そのまま実家で引きこもり生活を送ることになるのです。


仕事を辞めた私は、誰とも話せない状態になっていました。

食事もまともに摂れなくなり、心と身体は衰弱していきました。

そしてそんな私の状態に、父と母の態度は一変。

初めてみる娘の様子にどうすることもできず、
ただただ黙って状況を受け入れていたようでした。

この期間、私は昼夜問わず頭の中で自分を責め続ける声に苦しんでいました。

”私に頑張りが足りないせいで、こうなった”
”私はダメ人間で失敗作なんや”


”親の期待に応えられない私はダメ人間”
”役に立たない私は存在価値がない”

頭の中に何度も浮かぶ、自分を責め立て続ける言葉の洪水。

何度も自分の頭を叩き割りたくなりました。

”もうダメや。全然気力が湧いてこない。”

夜も眠れない日々が続き、ますます衰弱していきました。

そしてついには息子のことも考えることができなくなり、布団から起き上がることさえできなくなっていったのです。

将来に何の希望も見えず、目の前には暗闇しか見えなかった。

”このまま死んでいくしかないんやろうか

そんなことを考えていた時、小さな息子が寝たきりの私の横にちょこんと座ってきました。

”ママ笑って!にーっ!”

涙が溢れてきました。

小さな身体で全力で、一生懸命に私を励まそうとしてくれている。

なのに私は寝たきりで、その笑顔に応えることができなかったのです。

”ごめんね”

言葉にできない想いをぐっと飲み込んで、
私は息子の頭をそっと撫でました。

”こんな小さな子に何もしてあげられない。”

自分が情けなくて情けなくて、涙が止まりませんでした。

だけど、何をどうすればいいのかも分からない。

”ごめんね、こんなママでごめんね”

息子への申し訳ない気持ちを抱えて、私はまた布団の中で泣き続ける日々に戻っていきました。


引きこもり生活を始めて1年。
私は相変わらず、1日のほとんどを布団の中で泣き暮らしていました。

”この1年、結局死ねんかったなぁ…”

ある日ふと、そう思いました。

そしてその時、あの日の息子の笑顔を思い出しました。

満面の笑みで私を見つめてくる小さな愛くるしい笑顔。

”わたし、これからもずーーっとあの子に
自分のこんな姿を見せて生きていくんかな”

そう思った瞬間、私の中で何かが変わり始めました。

”こんなに何もできん私に変わらずに接してくれたのは、あの子だけやったな”

まわりがみんな腫れ物に触る態度になっていた中、それまでと変わらず私に笑いかけてくれた小さなわが子。

そのことに気付いた瞬間、私の中にこれまでになかった想いが生まれました。

”私を信じてくれとるあの子に、私はこの姿を見せ続けて生きていくと?
それだけは絶対にイヤや!”

あの子のためにも笑って生きていきたい!

そう思った私はそこから社会復帰するとともに、前向きに強く生きていくことを決めたのです。


引きこもり生活から1年後。
私は息子のおかげで社会復帰することができました。

だけど、実家での居心地の悪さや両親との関係性の悩みは改善しないままでした。

イヤなのに家族の揉め事に巻き込まれてしまう私。
そして、イヤなのに揉め事を放っておけない私。

そんな自分自身に疲れ切っていたし、職場での人間関係にも相変わらず悩んでいました。

”このままやったら本当に自分がダメになってしまう”

どんなに前向きに取り組んでも全く変わらない状況に、
私の中にどんどん焦りの気持ちが溜まっていきました。

”とりあえず早くお金を貯めて、家を借りよう!”

自分の心の問題の重大さに気付きつつも、
なかなか具体的な行動ができないまま、
私はひたすら貯金するために働き続けました。

そして実家に戻って4年後。

当初の貯金の目標を達成した私は、アパートを借りました。

”やった!!これでやっと自立できる!!”

そう思った矢先、父が亡くなりました。

享年54歳。

この時、生まれて初めて父が無言でベッドに横たわっている姿を目にしました。

あれだけ激しく気性の荒かった父が、入院期間中にどんどんやせ細っていったあの光景と衝撃は、今でも忘れられません。

父が倒れてから息を引き取るまでの間、私は父の死を通して自分の人生を振り返っていました。

そして、

”ここで本気で自分を見つめなおさんと、
何も変わらん気がする”

直感的にそう感じたのです。

私はこの父の死をきっかけに、本気で自分の心と人生を立て直すことを決意します。

さらにここで、母にも変化が起きました。

”やりたいことがあるなら、あんたは今のうちにやっときなさい”

”私が元気なうちは子供の面倒くらい、私が見とってやれるけん”

あれだけ私をがんじがらめにしていた母が、
私への理解を示してくれるようになったのです。

私はここから、母の助けを借りながら自分の心の問題と人生を立て直すための方法を、ひたすら探し続けます。

父の死をきっかけに、私は貪欲に学び始めました。

最初はとにかく本を読み漁り、そこに書かれていることは手あたり次第試してみました。

だけど、なかなかうまくいきません。

”こんなにいろいろやっとるのに、何でうまくいかんのやろ…”

変われない自分に落胆するたびに、こんな気持ちで胸がいっぱいになっていきます。

それでも諦めずに、自分が変われる方法を探していると、次第にネット上に掲載されている講座が目につくようになってきました。

”世の中にはいろんな講座があるんやなぁ”

初めて見る学びの世界に興味津々だった私は、そこから対面講座を受講し始めます。

そして講座に参加した結果、私は少しずつ自分の心の変化を実感していくことができました。

”時間もお金もかかったけど、
行動してきてよかったな”

学ぶほどに今まで知らなかった見識が得られるし、何より自分自身の視野が広がることで心の器が安定していってるように感じていました。

そしてそのうち、

”もっとダイレクトに自分の心と向き合っていきたい!”

そう思い始めた私は、ここからさらに心理学とカウンセリングの世界に足を踏み入れていきます。

そしてついに、私が心から求めていたカウンセリングと出会うのです。


あらゆる心の悩みは、幼少期の主として両親との関わりを通して作られる思い込みに存在します。

HPに書かれていたこの説明を読んで、全身に衝撃が走りました。

”何で私はこんなネガティブな性格なんやろう?”
”性格ってどうやってできるん?”


私が心の奥底で抱えていたこれらの疑問が
この説明ひとつですべて理解できたからです。

当時の私は

・人の目が気になって、敏感に反応する
言いたいことが言えない
・自分のことはいつも後回しにしてしまう
・人前で自分を出すのが苦手
・人に頼ることができない
・好き/嫌いの意思表示ができない
・自信がなくて劣等感が強い
・自分には価値がないと思う
・失敗を過剰に恐れて、行動に移すのが怖い
・自分のことが好きになれない
・すぐに”自分はダメ”だと落ち込む


こういった悩みを抱えていました。
当然、人間関係も仕事も全くうまくいかない。

人生が八方塞がりだった私にとってこの心理セラピーとの出会いは、真っ暗だった私の人生に一筋の光をもたらしてくれました。

そしてすぐに私は、この心理セラピー講座を申し込み、講座の中のオープンカウンセリングという形で、初めてのカウンセリングを体験したのです。

カウンセリングを受けて自分の心と向き合っていくと、終わったはずの過去の出来事を引きずっている過去の私が出てきました。

そしてそこには、当時の傷ついたままでいる私がいたのです。

さらに、カウンセラーに声をかけられるまま、
当時の自分との対話を進めていくと涙が出てきました。

そして

”そうだよね、辛かったよね”

そう声をかけられると、そこから堰を切ったように涙が溢れ出してきたのです。

これまでに、父と母に責められて苦しんだ時とは明らかに違う、心の奥底からの涙。

ずっとガマンしてきた過去の私の深い悲しみと苦しみ。

声を上げて泣くほどに、身体の奥底からどんどん感情が溢れ出してきました。

”たいしたことやない”
”もう終わったことやし”

これまで何度も自分にそう言い聞かせて
前向きに生きていこうと頑張ってきた。

だけど私に本当に必要だったのは

過去の自分の声にちゃんと耳を傾けて受け止めてあげること

だった。

そう心から理解できたこの日から、私はカウンセリングを受け続けることを決め、自分の心と真剣に向き合い続けました。

母に話を聞いてもらえなかったこと。
”あんたみたいな子はいらん”と言われたこと。

”あんたが悪い”といつも悪者にされてきたこと。

父に自分の気持ちをバカにされたこと。
髪の毛を持って引きずり回されたこと。

”泣くな””笑うな”すべての感情を否定されたこと。

カウンセリングを受けるたびに当時の辛かった経験を通じて、涙と共に感情が溢れ出てきました。

そして自分の気持ちを理解するとともに、
私自身がどれだけ自分にガマンばかりさせてきたのかを目の当たりにしてきました。

”もうこれ以上、人の目を気にしてガマンして生きていくのはイヤ!”

”わたしはもっと自由に生きていきたい!”

カウンセリングを受けて、私はやっと自分にそう許可を出せるようになれたのです。


”泣いてばかりの毎日から抜け出して、息子のためにも笑って生きていきたい!”

そう心に決めて自分の心と向き合い続け、10年以上が経過した現在。

いま私は、日々の生活を自分らしく穏やかに過ごすことができています。

以前はどこにいても何をしてても、ずっと自分以外の何かで支配されていた思考はすっかりクリアになり、その代わりに

・ゴハンが美味しい。
・お風呂が気持ちいい。
・今日はあの動画を観よう。


こんなフツーの目の前の幸せを、味わえるようになりました。

そして、当時抱えていた悩みは

・自分の気持ちを伝えられるようになった
・ムリして頑張らなくていい、と思えるようになった
・”これお願いしてもいい?”と緊張せずに伝えられるようになった
・人からのお願いを穏やかに断れるようになった
・自分の好きなことを口に出せるようになった
・自分がどうしたいのか?を大切にできるようになった
・好き/嫌いの意思表示ができるようになった
・まずはやってみよう!意欲が湧いてきた
・自分を信じる気持ちが大きく育った。
・今日もよく頑張った♪と自分を認められるようになれた
・ネガティブな自分にもOKを出せるようになった


こんな風に変化しており、ここまで頑張ってきた自分を誇らしく感じています。

中でも1番の変化は

”未来に希望を持てるようになった”

こと。

・今度こんな髪型にしてみようかな。
・トレーニングして、もっとかっこいいカラダになろう!
・来月はずっと気になってたパンケーキを食べにいこう!
・年末までに●●を達成したいな。
・来年はこんな自分になってたい!


引きこもっていた頃の私は未来に希望なんて持てなかったし、このままずーっと心が死んだまま生きていくのだと思ってた。

だけど、そんな私でも変わることができました。

自分と向き合うことはしんどい時もあるけど、それでも諦めずに向き合い続けてきてよかった。

いま心からそう思います。

ここまで長文をお読みいただき、ありがとうございます。

お伝えしてきた通り、これまで私は人の顔色ばかり気にして生きていました。

自分に自信がもてず、人にどう思われるのかを気にしてばかりの毎日。

責められたらどうしよう。

こんな不安を常に抱えていた私は、
そのうち自分で自分を責めるようになり、完全に自分を見失ってしまいました。

ですが息子のおかげで前を向くことができ、自分の心と真摯に向き合ってきた結果、今では自分にガマンを強いることのない、ストレスフリーな毎日を送ることができています。

もしもあなたが今、過去の私のように

”もうこれ以上、人の目を気にしてガマンして生きていくのはイヤ!”
”わたしはもっと自由に生きていきたい!”

そう思われているのであれば、今が人生を変えるタイミングです。

人はいつからでも変わることができます。
そして、諦めなければ道はきっと見つかります!


私は全力で、あなたがあなたらしさを取り戻せるようにサポートさせていただきます^^

”ワタシらしい自由な人生を手にいれたい!”
そう思われている方は、ぜひ体験カウンセリングにお越しください。